豪華巨兵ゴージャスダー

 とりあえず無駄にタイトル文字を金ピカにしてみつつ。

 まず、全体としては『王道的なオリジナルロボットもの』であると言えます。
 主人公のラコニ君はごく普通の金持ちのボンボン。しかし突如として家族を失い、その元凶である『貧困団』に対し、スーパーロボット『ゴージャスダー』で立ち向かうという、大雑把に説明すればそんなお話。実に王道です。
 また、主人公機であるゴージャスダーも、重装甲、低運動性、格闘重視と、スーパーロボットのお約束を踏襲した性能になっており、王道的である事に関しては疑いようもありません。
 ただ若干特徴的なのは、作中を見ても、ラコニ君の心中に復讐心のようなものは薄く、あくまでも彼の戦う目的は『誰よりもゴージャスな男になるため』というのが強調されているように見受けられる事でしょうか。

 さて『ゴージャス』。この単語が本作ではいたるところで繰り返されています。
 一見コミカルで一発ネタ色が強いかに見える言葉ですが、実のところ、この言葉がこの作品の魅力をかもし出すうえで大きく貢献しているのではないでしょうか。

 まず第一に、ゴージャスという言葉がわかりやすい。すんなり耳に入って馴染む言葉であり、その概要もパッとイメージできます。おおむね、金持ちで贅沢な暮らしをしていたりとか、そんなイメージでしょうか。
 場合によっては嫌味に思われがちな単語かもしれませんが、『世界中の金持ちの富を奪う』という方針で行動している貧困団を、自助努力を放棄して他人を妬む悪役として据え、その対比としてゴージャス=善というイメージを短い尺の作中で定着させています。
 耳に馴染みやすい言葉をプレイヤーに与え、そのうえで言葉のイメージを軌道修正。見る側に優しく、説明が冗長にならない、良い方法だと言えましょう。

 第二に、キャラクターに記号的特徴を定着させる意義。
 記号的特徴とは、要するに『属性』だとか呼ばれるもの。ライトノベルやギャルゲーのキャラクターに多く見られる『現実にそんな事する奴ぁいねえ』的な奇癖であると便宜的に定義しましょう。
 常にゴージャスゴージャスと連呼するラコニ君、傍から見れば変な奴ではありますが、『こいつはそういう奴なんだ』とキャラクターを定着させる効果があります。
 記号的な特徴というのは、まず見る側からすれば、理解しやすく、覚えやすい。そして理解されたキャラクターは、愛着を持たれやすい存在になります。愛着を持たれれば当然感情移入もしやすくなるわけで、それだけで作品の面白さに貢献します。
 一部の人からは媚びた方法だと嫌われている手法ではありますが、エンターテインメント作品においてはやはり不可欠な要素なのでしょう。そんな事を改めて認識させてくれます。

 これらの意味を伴った『ゴージャス』を極めるという、ただひとつの目的に支えられたラコニ君は、どこかズレたコミカルなお坊ちゃんながら、やる時はやる愛すべき熱い男としてわずか2話で定着しました。
 キャラクター先行の方法論の勝利とも言えましょう。

 もちろんこの作品にも欠点はあります。演出の若干の拙さや、ヒロインの見せ場がない点、ライバルとなるアイルセンが貧困団の首領でありながら何故ゴージャス力を持つのかの説明が不足している点など……それらを語る意味でも、もう少し尺が欲しかった気はします。
 しかし、現在続編の『豪華巨兵ゴージャスダーDX』が連載中ですので、これらの問題点はそちらに譲るとしましょう。

 何はともあれ、『ゴージャス』という言葉に支えられ、陳腐さをスタイリッシュさに押し上げた王道作品。
 そんな評価をこの作品には下したいと思います。

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