世界の創造と人類の誕生
はじめに、この世界は、ひと番いの夫婦神によって創造された蜜月の場所であったと言われている。
かの神らがいずこよりやって来たのか、
かの神らが訪れる以前の世界は如何様であったのか、
それを知る者は無い。
かの神らは自らの蜜月の場所を、とこしえの楽園にせんと決め、世界を創造した。
夫たる男神は天の何たるかを定めて世界を照らす傍ら、妻たる女神に命の種を授け、
妻たる女神は地の何たるかを定めて世界を満たす傍ら、無数の形の命をこの世界に産み落とした。
草木は大地を覆い、陸には獣、海には魚、空には鳥が生命の具体として満ち、
生命の繁栄の時たる光に溢れた昼と、生命の安息の時たる静かな闇の夜が定められると、
世界は、もはや神が何もなさずとも、数多の生命たちが円環を描くように
永遠に美しい世界を織り成し続ける形を描いた。
それは、はじめに神の思い描いた楽園そのものの光景であり、
それこそは永久に続く平和の世界、神の住まう庭となるはずであった。
楽園を築き上げ終えてより幾星霜の時が流れ、
夫婦神は、いよいよ世界創世の業が次なる階梯に達するべき時であるとの考えで一致した。
それ即ち、知恵ある愛し子をこの世界に生み出す事である。
世界に満ちていた命はみな未だ知恵を持たぬ者たちばかりであり、世界を彩る事はできるとも、
神と共に歩み、また神の間の鎹となる、愛し子とも呼べる者はまだ存在しなかったのである。
果たして、ここに"人類"が誕生した。
不死なる神と異なり定命の身なれど、神に似た姿といくばくかの知恵を与えられ、
神の持つ権能に比べれば遥かに稚拙なれど、世界を変える事のできる力を持ったその者たちは
かけがえなき神の愛し子であり、また忠実な僕として、神と共に世界にあるはずであった。
知恵を持つ人類が神と共に暮らす時代、
ようやくにして自分たち以外に知恵を持つ者と触れ合う機を得た神は、
初めて知恵ある第三者と関わりを持ち、個々を識別する名を必要とした。
今日における"天父神ソルレオン"と"地母神ミラ"の名、
そしてこの世界"フェルサリア"の名は、この時代に定められたと言われている。
招かれざる来訪者、そして神の喪失
人類が産み落とされてより幾星霜。
今日とは異なり、未だ肉体を持っていた神が人類と共に暮らしていた頃、
神の元に結束した人類は、諍いもなく平穏な時を享受していた。
しかしある時、神すらもその存在を知り得ていなかった者がこの世界に来訪した事で、世界は変わった。
遥か星辰の空の彼方より来たるその者は、
およそ考え得る限りの暴虐なる邪智を持ち、極めて狡猾・残忍にして異貌の姿を持つ邪悪の化身であり、
今日においては"邪神ゲベルーニャ"と呼ばれている存在であった。
邪神が狙いをつけたのは、あらゆる命を生み出す女神の胎であったと言われている。
一説によれば、邪神は天父神の姿に化け、女神の閨に忍び込んだとも伝えられているが、
いずれにしても間違い無いのは、邪神によって女神の母胎に邪悪の種が植えつけられてしまった事であった。
やがて女神より生まれた者たちは、生まれながらに邪悪をその身に宿していた。
この地に元来根付いていた生物たちに牙を剥く、恐るべき怪物。
この地に元来根付いていた生物たちを狂わせ、邪悪なる穢れにて染め上げる瘴気を吹き出す草木。
それらが侵略行為であると、そして外なる邪神が存在したと神々が気づいた時には、
神の権能をもってしても、邪悪なる者をこの世界から一手に消し去る事はできぬほど、
既に邪悪なる者――"魔物"たちは、この世界にて勢力を増してしまっていたのである。
邪悪な草木の放つ瘴気は、まるで伝染病のようですらあった。
その草木は養分を奪い取るように周囲の草木を衰弱させながら毒々しい赤紫の花をつけ、
その瘴気に触れた獣や人類は、邪悪な魔物へと変じてしまう。
その侵略の前に、人々は為す術も持たなかったのである。
天父神ソルレオンは愛し子たる人類を守るため、また妻を穢された恨みを晴らすため、
雷霆の槍をその手に、邪悪なる魔物たち、そしてその首魁たる邪神に戦いを挑んだ。
一匹、また一匹と邪悪なる魔物たちを打ち倒していく天父神ソルレオンの戦いは勇壮なものであったが、
あまりの多勢に無勢ゆえに、邪神の膝元へ辿り着く事もかなわぬうちに少なからぬ手傷を負い、
もはやこれまでかと思われた時、それを救いに来た者がいた。
それは、地に聳える巨山を思わせるように重厚で、しかし見る者を感嘆させる程に壮麗な鎧に身を包み、
戦女神と化した地母神ミラであった。
地母神ミラが戦女神と化したのは、この世界に邪悪を蔓延らせる元凶の一助となってしまった罪を償うため、
自ら産みだした邪悪なる者たちを、せめて自らの手で斃さんとする悲愴な決意によるものであった。
しかし、望んでの事ではないとはいえ、自ら産み出した者たちに対するせめてもの慈悲か、
その手に握られていたのは、流血を伴わぬための鎚であったという。
地母神は天父神の傷を癒やし、天父神は地母神の決意に奮い立てられ、
比翼の鳥のように支え合いながら、フェルサリアの地に蔓延る邪悪を討ち倒していったという。
長い戦いの末、天父神と地母神は深く傷つき、
ついに邪神の膝元まで辿り着いた時、その戦いの最中において天父神は邪神を追い詰めながらも
あとわずか力及ばず、その肉体を失った。
伴侶である天父神が倒れた後、地母神はその身に纏った鎧も衣も剥ぎ取られ、
再び邪神にその身を弄ばれるかと思われた。
しかし、体を許すまいと、そして更なる邪悪を生み出させはすまいという地母神の意志は聖なる力となり、
邪神の禍々しき触手をを跳ね除け、その手には天父神のものであった雷霆の槍を生み出していたという。
地母神ミラはその手に生み出した槍をもって邪神に最後の一刃を突き立て、
ついに邪悪の化身たる邪神を永い眠りの底に沈める事に成功したのであった。
神に死という概念があるのかどうかなど判然としたものではないが、肉体を失った天父神ソルレオンは、
この時より天そのもの、あるいは太陽そのものとなったと言われている。
邪神もまた完全に滅び去ったわけではないにせよ、死に限りなく近い沈黙を保つようになった。
多くの魔物は辺境へ、あるいは暗い大地の底へと追いやられた。
天より世界を睥睨する父なる神の下、全ての邪悪は祓われたかのようにも見えたが、
しかし、全ての魔物が消滅したわけではない事を知る者も少ないわけではなかった。
フェルサリアの地に独り残された地母神ミラもまた、戦いの傷から、その力の大半を失っていた。
唯一の心残りは、いつの日か魔物たちが再び隆盛する時代が訪れたとき、
愛し子たる人類は、自らを守るための力すら持たないであろう事。
地母神ミラは己に残された最後の力を用いて、
自らの神としての力を引き千切り、人々の中でも特に信頼する者たちに密かに分け与えた。
瘴気に狂わされる事なく戦った天父神と同じく、己もまた神であるならば、
その力を受け継ぐ者はきっと、魔物に抗い得る力を継承していくであろうと信じて。
力を使い果たした地母神ミラもまた肉体を失い、
この時より、フェルサリアの大地そのものとなったと言われている。
戦女神の子ら
地母神そのものが大地となったと言うのであれば、地の底をねぐらとする魔物たちはさぞ快適であったに違いない。
神々が肉体を失うきっかけとなった戦いより数十年後には、既に魔物たちは勢力を取り戻し、
一匹、また一匹と地上に這い出て来たのである。
かつて地上が穢され、神の力を持ってようやく世界が浄化された時に比べれば
それは遥かに些細な侵攻ではあったが、
人の身にあっては打つ手無しと知っていた人類の古老たちは、みな一様に絶望した。
しかし、その絶望は破られた。
地母神ミラが遺した力を受け継いだ者たちの子らから、魔の瘴気に耐え得る者たちが現れたのである。
それはあくまでも"ある程度耐えられる"という程度のものであり、
かつて敢然と邪悪に立ち向かった夫婦神に比べれば酷く不確かなものではあったが、
しかし、魔物の侵略に敗れるのを待つばかりであった人類にとっては、希望の光であった。
邪悪の瘴気の中、魔物たちと戦い得るその姿は、神話の時代の夫婦神を彷彿とさせるものであり、
地母神ミラの神性の欠片を受け継いでいる事から、"戦女神の子ら(ヴァルキリーズ・チルドレン)"と呼ばれた。
邪悪なる者たちの侵略に抗い得る唯一の力とも言える彼女たち――その多くは女性であった――は、
その才を見出され、自ら志願して、あるいは他者から道を示される事によって、
夫婦神を祀る神殿や国家の軍の管理下にて、魔物たちと戦い、人類を守護するようになったのである。
人類が神々を失って、およそ百年が過ぎようとしている今、
なお、人類と魔物の戦いは、終わりの兆しも見えることなく続いている……