フェルサリアの信仰
フェルサリアにおいて、人類の生活共同体にはたいてい何らかの形で信仰の拠点が存在します。
ある程度以上の規模の都市においては、基本的に創世の夫婦神である天父神ソルレオンと地母神ミラ、
それぞれの神殿が建っているのが基本形になります。
国家や都市の統治形態にもよりますが、少なからぬ場合において、このように夫婦神を祀る神殿は
多数のヴァルキリーズ・チルドレンを指揮下に擁しています。
神の名の下に、魔物を討伐する役目をチルドレンたちに担わせる事で、社会の平和と秩序を守りつつも
神殿の権威や、人々の信仰心を維持する意味も果たす効果を得ているというのが
非常によく見られるパターンです。
より人口の少ない農村部などでは、神殿と呼ぶには抵抗を覚えるような小規模な施設や、
ほこら程度の祭祀場のようなものになりますが、たいてい何らかの信仰の証は存在しています。
天父神ソルレオン
天父神ソルレオンは、この世界を創造した夫婦神の片割れたる男神です。
邪神との戦いの折にて肉体を失い、しかしその魂は今もこの世界を睥睨し見守っているとされます。
天であり、太陽であり、昼であり、万物の表であるとも言われます。
肖像においては、太陽のように輝く大きな宝玉をあしらった王冠を頂き、
右手には稲妻を纏った槍を、左手には溢れた水が雨のように滴る杯を持った若き王の姿で描かれます。
天候の変化や自然災害も、フェルサリアにおいてはかの神の手によるものと考えられています。
信心深い者たちは、大雨や落雷による被害も、かの神の与えたもう試練であるか、邪悪なる者の浄化、
あるいは人智の及ばぬ深慮の果ての必然であると解釈する事もあるほどです。
もっとも、そこまで神に結びつけて考える者はフェルサリアにおいても決して多数派ではありません。
多くの者はただの自然現象であると考え、しかし例えば乾季に降った恵みの雨を前にして、
慣習的に神に感謝の言葉を紡ぎ出す者は少なくない、という程度です。
また、天から世界の全てを睥睨する存在であるとして、正義や法の神としても認識されています。
このため、かの神は政務や司法に携わる文官などからも信仰を集めている他、
所によっては天父神を奉じる高位の司祭が、小さな村や町では略式の裁判官を兼ねる場合もあります。
まだ神々が肉体を持っていた時代の、邪神との戦いの発端となった事件がきっかけなのか、
教義において他者を騙して利を得る事を殊更に厳しく戒めている事が、その傾向に拍車をかけています。
特に不貞を教唆する行為の罪は重いものとされ、これを最大の悪徳とみなす宗派も存在しています。
ソルレオンの教えにおいては、全ての魔物は人類と相容れぬ邪悪、憎き敵であるものとされ、
その積極的な討伐が奨励されています。
ソルレオンを主に奉ずる聖職者のうちには魔物との戦いを生業としている者も少なくはなく、
彼らは己の祀る神がそうであるように、槍を好んで使用します。
天父神を奉ずる聖職者たちは、規律に基づいた縦社会の中で生きており、日々の礼拝の他、
警察組織としての役割を果たす事が多くの地域で見られます。
天父神に仕える聖職の道を選んだ若者は、多くの場合"警邏神官"を名乗り、正義の番人として
数年ほどをこの警察組織としての任務と、教義の学習、精神の修養に費やします。
その後はより高位の司祭への道を歩むのが一般的です。
国家によっては行政・司法の一部が委託されている場合もあり、それぞれの専門的な知識を持つ者が
これらの業務を遂行しています。
特に警察組織としてのソルレオン神殿では、悪に対しては、それが具体的な姿を持つ敵であれ、
文化や概念的なものであれ、敢然と立ち向かうべきと教えています。
若い神官の中には悪に対して一歩たりとも退いてはならぬと誤解している者も少なくはありますが、
勝てない相手から一時的に撤退する事などは決して禁じられてはいません。
天拝宗の真髄はあくまでも正義を成し、悪を蔓延らせぬ事にあります。
最終的にその結果を得るための過程ならば、一時的な戦略的撤退は恥ではあっても不徳ではない、と
敬虔な信者は知っているのです。
地母神ミラ
地母神ミラは、この世界を創造した夫婦神の片割れたる女神です。
邪神との戦いの折に深く傷つき、残された力を人々に遺して大地そのものと一体となったとされます。
地であり、月であり、夜であり、万物の裏であるとも言われます。
肖像においては、大地の女神として描かれる場合と、戦女神として描かれる場合とがあり、
前者の場合は豊満な肉体にゆったりとしたドレスをまとった王妃として、
後者の場合は堅固な鎧を身につけ、戦鎚を携えた姿で描かれます。
一般的には大地の女神として信仰される傾向が強く、農民を中心に根強い信仰を集めています。
秋の収穫期には、かの女神への感謝を込めた収穫祭が行われるのが多くの地方で習慣化しています。
一方で、夜であり女でもある事から、性愛に対しても比較的寛容であり、
特に天父神信仰が薄い地域においては、神殿が貧しい娼婦の駆け込み寺となっている場合もあります。
ただし、既婚者の不貞に関しては天父神の教義同様、厳しく戒められています。
戦女神としての地母神ミラは、邪神ゲベルーニャを不倶戴天の敵と定めています。
魔物たちすら、かの邪神によって生み出された憐れむべき歪んだ生命であると説いており、
倒す必要はあったとしても、倒す行為そのものが善というわけではないとされています。
そのため、地母神を主に奉ずる神官戦士は、魔物を打ち倒すにしても無残な流血を伴わない鎚を好みます。
地母神を奉ずる聖職者たちは、教義を説く事よりも、行動で信仰を示す者が主流です。
物事の善悪よりも平和と幸福を重んじ、地域での奉仕活動や傷病者の治療、産婆などの役に従事する他、
人の心の悩みに向かい合う事でも癒やしを与えて回る存在です。
天父神の神殿と異なり、聖職者たちにあまり厳しい上下関係が存在せず、高位の聖職者であっても
高齢まで奉仕活動に従事し続ける事が多い事も特徴と言えます。
一方で、かの女神を戦女神として信仰する者たちも存在します。
戦女神としてのミラは、邪神に植えつけられた種より生まされた魔物たちを不倶戴天の敵として倒す一方、
歪んだ命として生まれた子らの生命を最小限の苦痛で断つ、慈悲深き告死の女神でもありました。
同時に、重厚にして壮麗な鎧を纏った身で、夫である天父神ソルレオンを守りて戦い抜いた伝説を持っており、
愛と慈悲ゆえに戦う、守護と、邪悪の祓除の戦いの女神とみなされてもいます。
この形態の信仰を持つ者たちの間においては、かのような地母神ミラの想いを受け継いで邪悪と戦う事こそが
信仰の実現と考えられています。
人々を守る事、邪悪な命として生まれて来てしまった魔物を現世から解放する事こそ功徳とされており、
魔物を積極的に討伐し、この世界に生み出された穢れを祓うこと、人々の平和を安寧を実現する事を目指します。
それゆえ、戦いの女神としての信仰ではありますが、人同士の闘争については自衛以外は否定的です。
またいかなる戦いであれ、必要以上に苦痛を与える行為を禁じています。
この教えにおいて戦いとは、あくまでも何かを守るため、また歪められたものを正すための必要悪であり、
戦いなど極力起きないほうが良く、必要であれば自らが矢面に立とうという決意の上に成り立つものなのです。
可能ならば誰も苦しまない方が良いという慈愛の精神を決して忘れてはならない、と教えられています。
この信仰に帰依する聖職者の多くは戦士としての訓練も受けており、その身に聖印の刻まれた鎧を纏います。
聖職者ではあっても、守護の象徴たらんと考えればこそ、彼らの信仰の象徴は法衣や錫杖ではなく、鎧なのです。
特に女性の神官戦士には、己の姿を母なる神に重ね、自身こそありし日の女神の現し身たらんとする精神状態を
自身の神威魔法の原動力とする目的で、女性である事が一目でわかる鎧が好まれます。
また、天父神の雷霆の槍をもって地母神が邪神にとどめを刺した伝説になぞらえて、この信仰形態の神官戦士は
地母神信仰でありながら、槍を使う者も少なからず存在しています。
聖職者の位階
フェルサリアでの聖職者は、いずこかの神殿に所属し、神殿の活動を通じて位階を高めていきます。
位階は、創世の夫婦神を信仰する僧侶たちの共通の階級であり、昇・降格は所属する神殿の意思で決まりますが、
与えられた位階はフェルサリア中で共通のものとして通用します。
位階は、与えられる者の僧侶としての階級を、実力に応じた地位として端的に表したものです。
それは"神威魔法の使い手"としての僧侶の実力ともある程度は比例しますが、多くの場合は総合的に判断されます。
例えばソルレオン神殿であれば犯罪の捜査で多大な功績を挙げた者、ミラ神殿であれば優れた医術の使い手、
それ以外にも人望の厚い者や奉仕活動のリーダー役、指揮能力やマネジメント力に優れている者などは
神威魔法の腕前よりも、そういった能力を評価されて高い位階を得る者もいます。
一般的に、聖職を志した者は神殿の門を叩き、その神殿に所属して勤めを始めます。
この者たちはまず"入信者(ネオファイト)"の位階を与えられ、聖職でない一般の信者と区別された立場となり、
神の教えをより深く学び、心身の基礎的な修行を始めると共に、神殿の活動にも参加し始めます。
多くの場合、ソルレオン神殿では一定の基礎訓練期間を経て警邏神官(要は"新米巡査")となり、
ミラ神殿では師となる人物に就いて、医療や炊き出し、季節ごとの祭典の準備などの奉仕活動に奔走します。
ただし、ヴァルキリーズ・チルドレンである者はこの位階の者であっても、討伐者としての活動のため、
ある程度の自由を与えられて行動する事が少なくありません。
入信者としてある程度の修行と実績を積み、一人前であると認定された者は"侍祭(アコライト)"の位階を得ます。
基本的な活動内容は入信者とあまり変わりませんが、一人前と扱われるだけあって、いわば主担当であり、
ある程度は自分流のやり方で物事を進めたり、指示を待たずとも能動的に行動して構わないと考えられます。
それは同時に、自分自身の行動に責任を求められる事の裏返しでもありますが…
ちょうど、現実世界の企業社会で言う"主任"や"係長"クラスと考えてよいでしょう。
多くの者は神殿の活動に関する現場の主担当、小規模なチームのリーダー役などとして活動しますが、
司祭の位階に到達できなかった者が、後進の者の育成を専門にしている場合もあります。
侍祭で充分な実力と実績があり、所属する神殿の中での人望もある者は、より上位の位階の者の推薦を受けて
"司祭(プリースト)"の位階へと昇進します。
ここまで来るといわば管理職であり、神殿の活動に直接参加するよりは、配下の聖職者たちの統率と管理が
その主な勤めとなってきます。
もっとも、中には現場主義にこだわり、直接の活動と管理職としての仕事を並行でこなす者もいます。
小さな神殿では全権を委任されている場合もありますが、ある程度以上の規模の都市での神殿においては
たいていの場合、一部署の長という程度に留まります。言い換えれば中間管理職であり、苦労も多いです。
一般的に冒険者・討伐者として活動している者は、司祭以下の位階に留まります。
討伐者として直接魔物との戦いに身を投じる者たちにとっては位階自体が重荷かもしれませんが、
優れた討伐者たる聖職者には実績に見合う位階を与えるべきとの声もあり、昇格に興味が無い者であっても
他の者への示しをつける意味も兼ねて、妥協点として司祭の位が与えられる場合もあります。
司祭になるには一般的に10年以上の聖職勤めが必要と認識されています。
また、さらに上の位階は非常に狭き門であり、司祭の位のまま生涯を終える者も少なくはありません。
一方で、管理職が不足しているという事情から暫定的に司祭位を与えられる者もまれにいたりします。
このように、司祭の位にある者は他の位階に比べて非常に多種多様な立場の者がおり、位階では表現できない
実質的な上下関係のようなものが発生する事がしばしばあります。
この対策として一部の地方では、司祭の長たる年長の司祭を"司祭長(ハイプリースト)"と呼ぶ場合もありますが、
これは正式な位階ではありません。
司祭よりも更に上の位階は、"司教(ビショップ)"と呼ばれます。
一般的に大規模な神殿の長であるか、いくつかの神殿を含む複数の村や大きな街の聖職の総責任者となります。
大抵の場合は高い実力と実績、厚い人望、敬虔な信仰心と深い含蓄、清い人柄を持っており、
神威魔法に関しても上級の魔法を行使できる者がほとんどです。
もっとも、その魔法の力を振るう機会は決して多くはありません。
言わば上級管理職である彼らは、下からもたらされる報告への対応で忙しい事でしょう。
冒険者・討伐者が接する機会はあまりないでしょう。
聖職の最高位は、"神代者(パトリアーク)"と呼ばれます。
この位階の者は、フェルサリア全土でも10人といません。その数少ない一人は、カルディナ教国の教皇です。
冒険者や討伐者が接する機会などほとんど無いに等しいのですが、逸話は誰しもが耳にする事でしょう。
いわく、死者を蘇生させるとも。いわく、魔物を一喝で立ち去らせるとも。
それが事実であるかどうかは市井の人々には知るよしもありませんが、間違いなく言える事は、
この位階にある者はフェルサリアの全ての聖職者をひれ伏させるほどの威光を持ち、その発言ひとつで
多くの神殿を動員する事ができるという事です。
原則的に、各位階の適性クレリックCLは、入信者なら0〜2、侍祭は2〜4、司祭は4〜5、司教は6以上です。
ただしこれはあくまでも大原則であり、神威魔法以外に特技を持つ者はより低いクレリックCLでも
位階を上げていく事は充分に可能です。
なお、"神官"という言葉もフェルサリアでは使われますが、これは位階に関係なく、聖職として国家の公務を
遂行する者すべてに与えられる呼び方です。
神聖な官吏という字面がその特性を表していると言えるでしょう。
同時に、カルディナ教国の"教皇"も、教国の皇、王たる聖職者という意味であり、位階ではありません。
死後の世界の宗教的解釈
死後の世界というものに関しては、フェルサリアの人類の中においても統一的な解釈はありません。
この世界には一度死亡した後、最上級の神威魔法で蘇生された人物も若干名いますが、
彼らの中にも死後の世界というものを記憶している者はいません。
これを根拠に、『死後の世界というものはなく、死ねば無に帰るだけ』という考えをする者もいます。
天父神殿と地母神殿においては、死後、人は魂のみで神の御下へ行くものとされています。
神の御下でどのようになるのかは、各神殿によってわずかに教えが異なります。
最も一般的な教えは、フェルサリアを楽園として創造しそこねた夫婦神は、肉体という枷から解き放たれて
魂のみの存在となって、肉体から解放された者のみが辿り着ける"楽園"を何処かに築いているという説です。
その"楽園"に辿り着くには神に招かれる事が必要であり、招かれる者たるには、穢れ無き清らかさを保ち、
神々の遺したフェルサリアでの生を精一杯生き、そして必要とあらば邪悪に敢然と立ち向かう事のできる、
人としての規範とも言うべき者の魂であった事が条件とされています。
それゆえに聖職者は穢れを忌避し、清らかなるように己を鍛え、人々を導くのだという説です。
ここに地方によっては若干のアレンジが加わり、地母神の元で次なる生へと輪廻転生するのであるという説、
"楽園"に導かれなかった魂は永遠に無の空間を彷徨うとする説、
"楽園"に導かれた魂は神と同一化し、神が復活するための力の一部となる説などに派生します。
なお死後、肉体は一般的に土葬されます。これはこの世界の母たる地母神に抱かれ眠るという考えが半分、
もう半分は大自然へ肉体を返還するという意味合いがあります。
いずれにせよ宗教的な意味合いから、習慣としてこのようにするのが一般的になっています。
ただし、伝染病に罹っていた者などは火葬される場合もあります。
邪神ゲベルーニャ
邪神ゲベルーニャは、外なる世界から現れ、この世界に邪悪の種を撒いた悪神と言われています。
その教義がいかなるものであるかは、人智をもってしては知る術もありません。
それどころか、教義が存在するのか、人類と同様の思考形態を持っているのかすら定かではありません。
明らかになっているのは、かの邪神が地母神ミラの胎を借り、邪悪な穢れを持つ生命を宿させた事で、
魔物と、それを助長するヘレティアの花がこの世界に産み落とされてしまった事です。
一般に、人類社会からは邪神ゲベルーニャは信仰されていません。
邪悪にして異質なこの神を奉ずる者は、知性ある魔物たちと繋がりがあり、付き合い上そう振舞っているか、
さもなければ狂人か、といった所でしょう。
かの邪神がこの地に現れた理由も判然としていませんが、自らの眷属たる魔物を増やす行動を取った事から、
何らかの理由で安住の地を失った漂着者であったのではないか、との味方が有識者の間では有力です。